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そりゃ大丈夫だ。わけ?それしか道がない!
選択肢がないのはいいことだ。やるだけ
1月8日までお仕事はいたしません。 |
目標や夢は人さまざまですが、なるならないは相応
の能力と運ですね。どちらが欠けても難しそうです。 |
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法則とは何ぞや?
と、まぁこんな出だしはどうですか、ひょっとすると何かの大先生のサイトかもしれないなんて錯覚に陥るお客様がおられるかも知れませんね。「そんなのいない」とおっしゃるならそれまでですが皆無ではないことに期待を込めて、もしいらっしゃればその余韻に乗じて先に進みます。ただこのサイトはあくまで作者の自己学習の場ですので、ひとさまにお目にかけることが第一義ではありません。 |
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法則の矛盾を探してみましょう。ささやかな隙間が見つかるかも知れません。
そして時給生活を楽しむ。仕事が楽しい、仕事が生きがいという人も大勢いますし、仕事がうまくいかないとか辛いという方もいます。ひとそれぞれではありますが、仕事から、生活の糧を得る手段という領域を除いた時に残る価値は何でしょうね。お金のためばかりではないという方も大勢いらっしゃるでしょう。しかし仕事には、楽しく生きるという人生の命題を阻害することも多いように思います。悪しからずお付き合いいただければ何よりです。 |
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人生は片道切符
この言葉が身にしみて寒く感じるときがあります。
こんなことならはじめから下流界の中流人になることを目指せばどんなに楽だっただろう。
生まれ変われるならそうしたいものだと躊躇なく思います。
そんなこんなで長い間生きてきた自分を自己評価してみました。
それほど馬鹿ではないがあまり賢くもなし利口でもない。
総合点は中の下 と出ました。
「泣いて暮らすも笑うのも、男の心の置き所」なそうです。だから私は心を「ボチボチそこそこ」に置くことにしました。
これで泣いて暮らすことだけはありませんが笑ってばかりいられるものでもありません。時に不愉快、ある時は憮然 できるだけ表に出すまいとしているだけ。これも慣れてしまえば苦になりませんから人間は訓練でいかようにも変われるもののようです。 |
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時間長者
ここは、勝手にSOHOのさきがけを自認する波平塾の業務日誌を兼ねた備忘録です。主題は、ひとり親方で自称時間長者こと運之波平がおりなす「時給生活」のささやかな狭義,? これは売り物ではありません。
この波平長者、「ボチボチ働きそこそこ暮らす」ぼちそこを処世訓として深~く信奉する希少動物であります。
中期高齢者層に属し、結核による3度の長期入院を経験したあと、現在は糖尿病、慢性胃潰瘍などなど病気のエキスパートとして珍重に値すると信じ切っています。
ちなみに中性脂肪は577.5H。私の対策は気にしないことですね。
考えましたね私は。これだけ入退院を繰り返していては世間さまが相手をしなくなります。
退院できてもまたという恐怖があります。そこで療養という暇にまかせて
入院していてもできる仕事はないか
体力のないものが一生できるように短時間の軽労働でそこそこ暮らせるような仕事はないか
元手の要らない仕事はないか
ひとりで自分のペースで出来なければいけない
こんな仕事を見つけることに没頭しました。これらをすべて満たす仕事でなければ手が出ません。
3回目の再発のとき私は病室で今の仕事を始めました。パソコンが大きな戦力になりましたね。
時代が応援してくれたのだと思います。病気が結核というのも幸いしました。痛くもかゆくもないのです。
菌が出ているというだけで強制入院。医療費なし。当時は食費もいりませんでした。学習に没頭できました。
私の人生で後にも先にも一番真剣な時期でした。結核病棟も患者にはおおらかで我儘を認めてくれました。
これには感謝です。当節の病院では許されないでしょう。その意味ではいい時代でした。
そして今、無年金同様ながら、それをさして苦にすることもなく自らを下流界の中流人と位置付けています。 |
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幸せの素
理論的、物理的に手に入れることが不可能、加えて倫理的に求めてはいけないないものを「欲しがってはいけない」が持論でそれが幸せの素だと思っています。裏返せばそれを欲しがる人には不幸せと背中あわせの危うさを感じるのです。
上流にさえ、欲しがってはいけないものを欲しがって,、下流など素っ飛ばして一気に奈落へ落ちる人がいっぱいいます。倫理と法律の垣根が見えなくなるせいでしょうか。真の属性は上流属にあらず、しいていえば上流もどき属かな?最近よく聞きますね、こういうご仁の話。ピーターの法則の言う無能の評価から逃れるためなのか単なる物欲か分かりにくいところです。 |
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他人様はどうあれ私自身で見れば実に単純明快です。
みんながあこがれる年金はほとんどありません。これはどうしても手に入れることが不可能なこと、だから欲しがらない。不可能なことを求めてうまくいくわけがありません。こんなことはず~っと前から百も承知のことです。
ならばどうする?これだけを考えればよろしいかと。私もある時期からこれに焦点を絞ってきました。
もし同類項的御同役がいらっしゃれば嘆く合間にでも御一考なされませ。それはそれなりに楽しい作業です。
この結論は考えるまでもありません。生涯現役、死ぬまで仕事です。
それができるような仕事を身につければいいのです。 |
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一見するだけでは羅列で脈絡なしに見えるかもしれません。主題は、下流の中流における作者の仕事の「経験則」とその基本とする「おおざっぱな理詰め」の評価です。実務の積み重ねによる確率論の部分否定の可否は頭の体操あるいは思考回路の増幅に役立つ楽しみのひとつです。不本意でしょうがぜひそう思ってくださいますように。
それが前向きです。まずは耳を傾ける。そしてよく吟味する、異論も反論もそれからで十分でしょう。勿論無視も含めて。 |
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そうは言ってもねぇ
病気になったり介護が必要な状態になったらどうするか?多くの人はそう考えます。確かにそれはあります。
私はこう考えています。そうなったときはわが人生そこでTHE END!
寝たきりでお国のお世話で生きるつもりはありません。おむつをして情けない姿で生きる気力もありません。
そう、こうなったときには終わりにするという基準をつくっています。死期を悟った象は山奥深く入ってその時を迎えるという話の古い記憶が鮮明にあります。私の理想です。それについては心構えだけではなく準備が必要です。
深刻そうな感じにも見えそうですが、誰もがそう思えば今の時代の悲劇はかなりなくなります。
これは議論の対象ではありません。私はそれでいいのだ!問題はその時の判断力の有無ですね。
しかしそれも考えようです。何も分からなくなればそれはそれなり、知らぬ存ぜぬです。
そうなれば恥も外聞もないわけで、生かされるもよし死ぬもよしでしょう。そう考えればオールニッポンの関心事老後など何の心配もありません。五体全く不満足まで大丈夫。 |
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ロマンチスト
言葉は「凛として」とか「楚々として」を好む夢追い人。3人いる娘の一人には凛と名付ければよかったと悔やんだりした時期もありました。なぜか、「そそ」という発想はでてきませんでしたが。どうした?しかしいまや三十路を過ぎた娘たちの中に凛としたところも楚々とした風情も見出すことはできません。今にして思えばそれでよかったのだということなのでしょう。小言の多いお凛さん、めったに掃除もしないお凛さまではしゃれにもなりません。 |
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何のために?
このサイト、目的は?と聞かれたら、私自身の生業についての学習あれこれが中心、常に仕事ぶりを反省しそこそこのニコヨン的時給自足生活を目指すためとお答えしましょう。何しろ死ぬまで仕事という十字架を背負っていますからそこそこの収入は必要です。その結果多くの部分は自問自答の形になります。
言行一致ならぬ考行一致 のための踏み絵です。
このサイトはひとさまに見ていただくのが第一義ではありませんというのはここからきます。
でも多かれ少なかれお客様がいらっしゃればプレーヤーはいいプレイを心がけるもの、大変貴重な皆様です。ここでのいいプレイとは仕事における作戦に対する結果がそこそこ良好なことです。
御希望の方にはおよそ8年間にわたって公開してきました。
その日暮らしなどと笑うべからず、そもそも今日があってはじめて明日があるのです。
社会学的に見れば?当節では当たり前になった成果主義、能力主義的報酬制の先鞭をつけたといえなくもありません。惜しむらくはその話のスケールが小さいこと。 |
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ひとにはそれぞれ「器」という壁があります。いささか無念でありますが、これが私の器の限界です。
しかしものは考えよう。身の丈に合わせて暮らす、それが自分で作れるセーフティーネットだとも思います。
仕事と気ままな暮らしを天秤にかけて後者を選ぶような希少動物の生業の限界ですね。
とはいえさまざまいるからおもしろい。みんなニコヨン(今風にいえば非正規労働者かな?)でもいけません。さればと言ってすべて東大出の高級官僚というのもまことに不自然。
上流と中流そして下流のバランスがとれてこそみ~んながそれなりに幸せなのです。
されどここでも「ないものを欲しがってはいけない」ことは上中下いずれの階層に属していても不可避の条件でありますぞ。
異常発生、お金のためなら何でもやる人々
今日もありましたね、元厚生官僚が退職して美容外科を開業して診療報酬をだまし取ったとか。NHKのプロジェクトXの元プロデューサー氏が万引きで捕まったとか。前者は役人時代にはそういう医療機関を監督する立場だったとか、ばれている部分がおよそ百万円、元プロデューサー氏にいたっては七千円だとか!いい歳こいて何やってんだ~ 12月1日加筆 |
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私の生業を支えるものは大数の法則と経験則の複合です。どちらが欠けても成り立ちません。
ここに少数の法則は法則に値するか?という問題が生じてきます。
少数の法則は経験則を否定あるいは軽んじているように私には思えるのですが、果たしてそれは正論でしょうか。多数決は少数意見に勝るといっているように思われます。これは必ずしも正しくないように思います。
その意味でここで言う経験則は少数の法則 と同義ではありません。少数の法則は経験則に否定的な意図と否定しきれないという認識が混在しているようです。これを検証したいと考えています。 |
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経験則を法則へ格上げすることが決定的に難しいのはサンプル数の問題です。加えて経験則を是とする成功例が極めて希少なことがあります。成功例の多くに「運が良かった」という言葉がでてきます。これは無視できません。
サンプル数でいえば、自分一人の経験によるものですから10年や20年そこらでは大した数になりません。
大数の法則の説明でよく使われる「完全無欠のサイコロをまったく同じ振り方で無限回振ればこうなる」なんて、理論的にはどうあれ実際にやってみることはできません。そんなこと本気でやりだしたら間違いなく腱鞘炎でリタイアです。つまりそれが経験則の限界で少数の法則とある意味で混同されがちな理由です。
次いで成功例ですが真実の成功例が少ないことは何をとってみても同じです。成功は稀有なものなのです。
ですからどう足掻いても経験則を法則とか公式と名乗ることはできません。つまり100パーセントこうなるとか絶対こうだといってはいけないわけです。これを言ってはウソになります。
ネット上にはこの手の表現は星の数と見受けますが、厳密にはファールでしょう。人泣かせも多いようです。 |
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絶対であることの理論的な証明はできないがごく一部を除けば説明が可能。
そこで、私の経験則、これに「9分9厘の法則」と名付けました。なかなかしゃれた名前でござろうが?
この仕事、私の手法で私が死ぬまで続けてうまくいったとしても、真の法則にはなりません。
それに対する評価はあくまで結果オーライの9分9厘です。
無限に仕事をしてうまくいくことを証明しない限り法則や公式の称号はいただけません。
それは無理というもの!
そんな学者たち(無論私のことではない)の理屈のお遊び(失礼)はそれとしてすごいことなのでしょうが、ここは気を取り直して現実的にいきましょう。 |
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無償配布
そんなこんなでおしまいに、お客様のお土産話にでもなればと、下流界を生き抜くための「メシのタネ」の無償配布をしています。これは種です、果実ではありません。そのタネが見つかるかどうかに始まり、それを撒くか捨ててしまうか、撒いたら次に育てる根気が必要です。
これには成果主義的時給の啓蒙活動とあわせて、人畜無害のボチソコの希少動物を絶滅させては情けないとの思いもあります。山猫とかアホウドリ?でさえ保護されているってのにね。それも大金かけて…こんなことですから内容は限りなくランダム、脈絡の欠如した羅列になりがちです。
塾生の学習室には 意味不明のメモ書きや記号などがそこここに我が物顔でころがっています。これらは当方の仕事と遊びのパーツですので、もし入室の機会があったときには無視してくださいますように。
飯のタネ探しなら的中コードに絞ってご覧ください。学習室で探すのが一番と思います。
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効能の中に思考回路の修復を謳っていますが、効果のほどは人によってかなりバラツキがあるようです。改善が著しい人がいる反面、効果がまるで見られない人も少なくありません。私のせいではありませんぞ。くれぐれも誤解なさらぬようお願いします。これも有体にいえば能力差でありましょう。 |
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少し具体的に このぺーじのはじめへ |