自称時給の達人
運之波平、そのなかのひとり。おそらく末席。
知らない世界のひとり親方。そして適度な貧乏人。
「いわゆる時給生活」を生業として半生を過ごした”ひとり親方”波平が提唱する
、時給で 『適度な貧乏生活』のすすめ。
これがおそらく最終章。 |
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時給が少しぐらい高いと言っても、金銭に限れば豊かとはお世辞にも言えない。
しかし、お金以外のものに不自由はない。まず時間がいっぱいある。何をするかに迷うほど。
時間があれば大抵のことはできる。どこにでも歩いていける。急ぐ必要がないからだ。
だから車があろうが無かろうが大した問題ではない。実際ガソリン代は月に3千円もあれば十分足りる。
ガソリン価格が上がろうが、物価が少しぐらいどうなろうがさしたる関係はない。つまり心配しないで済む。
適度な貧乏生活の基本は『ないものを欲しがらないこと』、これこそが幸せの素。
適度な貧乏は幸せの母である。
何でも自分でやる。お金をかけて人手を頼むことには抵抗がある。無論経済上の理由もあるが、それだけではない。
何をするにも初めはわからない。うまくいかない。だから考える。
こんなときは、「お前ならできる」 そう自分で自分を励ますのだ。
大抵のことは、そのうちできるようになってくる。
そして面白くなる。面白くなればしめたものである。
大工仕事も料理、パソコン操作もそこそこの達人?になった。
とはいえ、身の丈に合わないことを知ろうとかしようとは思わまい。もう時間がない。
絶対無理なことに挑戦するのは無謀駄というもの。身の丈ぐらいは心得よう。
時給生活もこれと似たようなもの。絶対無理な人もいる。また、おもしろくなければはじまらない。
御馳走らしいものには、ごくたまにしかお目にかかることがない。しかし、たまに食うから実にうまい。
塩じゃけは、頭に限る。中でも眼の下の部分が一番うまいなんて高尚?な知識も身についたりする。
鮭の皮とその下の皮下脂肪ほどうまいものはない これは伊達政宗の言葉だとか。
50年以上も前のことになる。ごくたまに、鮭が食卓にでると祖母が得意げに言ったものである。
これ皆ひっくるめて適度な貧乏のたまもの。
そういえば最近の鮭はおいしくないね。妙に生臭いし泥臭い。
昔の新巻はうまかった。おなかに塩がどっさりはさんであったもんだ。塩分の山だった。 |
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人生はある意味単純だ。日々面白がって暮らせばそれだけで生きていることが面白い!
自分で楽しむことは技能のひとつなのだ。誰かに楽しませてもらうことを待つよりもてっとり早いし。 |