適度な貧乏
 適度な貧乏生活とは、自分の感性で創り出す不自由を不自由としない、不足を不足と思わない暮らしのことだ。
 お金はそこそこあれば足りる。仕事は楽で短時間に越したことはない。そこそこでぼちぼちがよい。
 時間長者になって、いろいろなことを面白がって自分のしたいことをして暮らす。
 できれば生涯できる仕事が理想だね。欲を言えば寝込んででもできるのがいい。
 
 お金とかいい仕事がないと楽しい暮らしはできないという人が多いようだ。
 こういう人たちにとっての人生はつらいことが山積みだろうね。

 知らない世界のひとり親方
 自称時給の達人
 運之波平、そのなかのひとり。おそらく末席。
 知らない世界のひとり親方。そして適度な貧乏人。
「いわゆる時給生活」を生業として半生を過ごした
”ひとり親方波平が提唱する
、時給で 『適度な貧乏生活』
のすすめ。
  これがおそらく最終章。

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 適度な貧乏
 時給7千円は…

 時給が少しぐらい高いと言っても、金銭に限れば豊かとはお世辞にも言えない。
 しかし、お金以外のものに不自由はない。まず時間がいっぱいある。何をするかに迷うほど。
 時間があれば大抵のことはできる。どこにでも歩いていける。急ぐ必要がないからだ。
 だから車があろうが無かろうが大した問題ではない。実際ガソリン代は月に3千円もあれば十分足りる。
 ガソリン価格が上がろうが、物価が少しぐらいどうなろうがさしたる関係はない。つまり心配しないで済む。

 適度な貧乏生活の基本は『ないものを欲しがらないこと』、これこそが幸せの素。
 
 適度な貧乏は幸せの母である。
 何でも自分でやる。お金をかけて人手を頼むことには抵抗がある。無論経済上の理由もあるが、それだけではない。
 何をするにも初めはわからない。うまくいかない。だから考える。
 こんなときは、「お前ならできる」 そう自分で自分を励ますのだ。
 大抵のことは、そのうちできるようになってくる。
 そして面白くなる。面白くなればしめたものである。
 大工仕事も料理、パソコン操作もそこそこの達人?になった。
 
 とはいえ、身の丈に合わないことを知ろうとかしようとは思わまい。もう時間がない。
 絶対無理なことに挑戦するのは無謀駄というもの。身の丈ぐらいは心得よう。

 時給生活もこれと似たようなもの。絶対無理な人もいる。また、おもしろくなければはじまらない。
 
 御馳走らしいものには、ごくたまにしかお目にかかることがない。しかし、たまに食うから実にうまい。
 塩じゃけは、頭に限る。中でも眼の下の部分が一番うまいなんて高尚?な知識も身についたりする。
 鮭の皮とその下の皮下脂肪ほどうまいものはない これは伊達政宗の言葉だとか。
 50年以上も前のことになる。ごくたまに、鮭が食卓にでると祖母が得意げに言ったものである。

 これ皆ひっくるめて適度な貧乏のたまもの。
 そういえば最近の鮭はおいしくないね。妙に生臭いし泥臭い。
 昔の新巻はうまかった。おなかに塩がどっさりはさんであったもんだ。塩分の山だった。

 人生はある意味単純だ。日々面白がって暮らせばそれだけで生きていることが面白い!
 自分で楽しむことは技能のひとつなのだ。誰かに楽しませてもらうことを待つよりもてっとり早いし。